Old Logs
● 2009年以前の記事
そんなこんなで・・・
いこと “空き家” 状態となっていたここのブログを、改めて使い始めることにしました。 メインブログの方では何でもありというか……エンターテインメントや占いなどの記事をメインとしていますが、こちらのサイトでは主に創作に関する内容に限定した、言わば “制作日記” のような感じで書いていこうと思っています。 今後とも、どうぞよろしくお願いします。
英語版ブログ・・・
FC2 で英語版ブログのサービスが始まったみたいですね。 僕も以前から英語でブログを書いてみようと幾つかのブログを比較していたけど、これがなかなか良いところがなかった。 実を言うと、ここのブログも当初は英語で書くために作成していたものだったんですが、仕様でどうしても英語にできないところ (見出しや “前のページ、次のページ” の部分など) があったので敢え無く断念しました。 海外のブラウザでは日本語が表示できないものもあるので、文字化けを防ぐには日本語が表示されていては困りますからね。 でも、ここのブログは英文を表示させると非常にきれいだしテンプレートもシンプルながら素晴らしいデザインのものが多い。 その問題の箇所以外は文句なし、といった感じだったので閉鎖するのが惜しく長いこと残しておいたのですが、まぁ何とかこうして使う方法が見つかってよかったです。 それはさておき、その FC2 の英語版ブログ。 実はここも前述の “いろいろ比較した” ところのひとつだったんですが当時はまだ英語版はなかったので、しばらく使った後に閉鎖してしまいました。 しかし今回そこで改めてブログを開設することになるとは……本当に先のことは分からないものですね。 まだ開設してから殆ど設定をいじっていませんが、ちょっとずつ更新していこうと思っています。
表現する理由・・・
し 「あなたは、どうして創作をやっているのですか」 と訊かれたら、ものづくりをしている方々はどのように答えるんでしょうね。 僕は単純に言えば 「やりたいからやっている」 と答えますが、もっと深い意味では “ものづくりをすることで自分を見詰め直している” というか……あるいは思っていることや感じたことなどを文章に認めたり絵に描いたりすることで、頭の中を整理したり心の中を落ち着かせたりしているというか。 表現する場がどこであれ、またその手段が何であれ、自分以外の誰かがいなくては自分のしていることが成り立たないのは事実です。 しかし、だからといって自分のしていることが少なくとも “誰かのため” であるとか、または評価などのためではないことも確か。 ひとつ言えるのは、ものづくりをしている時が。 また、その向こうにあるものを見つけた時が自分にとって “幸せな時” だということでしょうか。
英語に訳す・・・
夜、本家サイト に掲載しているショート・ストーリー (S.S.) の 『ひとつの光』 を英語版に直す作業をしました。 この 『ひとつの光』 は高校生の頃に書いたもので、当時の苦しさや辛かった想いがとても強く籠められているS.S.です。 ウェブサイトを英語版にするに伴い、この文章も英語にしようと前々から考えていたのですが随分と長い間 1ページ目しか訳していませんでした。 英訳するうえで心掛けたのは、極力 “オリジナル版 (日本語版) のイメージから逸れないような文章にする” ということでしょうか。 でも日本語から英語にすると、どうしても違和感のある箇所が出てきてしまうんですよね。 そこで考えた方法は、もとの文章を参考に “英訳専用の文” を新たに……というよりも別に作成し、そこから英語に直すというもの。 まあ考えた、というのではなく正確には 「訳す作業をしていたら、その方がやりやすいかも?」 と思うようになっていったんですけど。 例えば 3ページ目の 1行目は、そのまま訳してしまうと長く解りにくいので次のような形に変えてみました。

> 日本語版
  光は見えていても、ぼくの歩みは暗闇に潜んでいる何かに遮られる。

>英語版
  Light disappeared by something that lurked in the darkness.
  (光は暗闇に潜む何かに遮られた)

  本当は 『私の前に光を遮る者が現れた』 と書くつもりでしたが、いいフレーズが出てこなかったので、このような感じになりました。 それ以外にも 4ページ目の後半から 5ページ目にかけての部分。 この部分はフレーズが長いので、多少内容を短く (というか細かく) することで筋が通るようにしました。 しかし翻訳ツールなどで確認したり英語が解る方が読んだりすると、やや不自然な文章になっているかもしれません。 改めて言うのも何ですが、やっぱり言語を訳すというのは本当に難しい。 単に同じ意味や似た文章になるよう置き換えればいい、というものでもありませんしね。 今回の翻訳もどき体験を機に、これからも英語の勉強を……自分の国語である日本語を含め、さまざまな言語を深く学んでいきたいと思いました。
(無題) 2008.6.11 4:53
く聞くことですが、“ぴん” ときたアイディアというか……良い考えというのは、考えようとして出てくるものではないですね。

  様々な考えが頭の中に渦巻く中で、ふと 「あっ!」 と所謂 “豆電球が点く” 的な状態になる時があります。 そうしたことが起こるのは、決まって机やディスプレイの前で唸っていた時ではない。 風呂やトイレに入っていた時、本や映画、ゲームやテレビなどを楽しんでいた時などなど。 極端な場合は、いまのように “眠っていた時に” なんて場合もある。

  僕は唯でさえ、何らかの理由で一度眠りから覚めてしまうと (余程の事がない限りは) 俗に言う “二度寝” ができない。 しかも大抵そうした後は興奮が高まってしまうために、しばらく眠れなくなってしまう。 でも自分にとっては眠れなくなるよりも良いアイディアが降ってきたり浮かんできたりした方が嬉しいので、まったくと言っていいほど苦にはならない。 そうした考えの方が、あれこれ悩んで出てきたものよりも遥かに良いものであることが多いですからね。

  しかし、そうした考えが前述の “風呂やトイレに入っている時” だったりすると書き写すことができないために非常に困る。 外出時は小さいメモ帳や携帯電話に打ち込んで自分の PC に送信しておくなど、いろいろと方法はありますが風呂やトイレといった場所ではどうしようもない。 大体の場合は、そこでまさか良い考えが浮かんでくるなんて思ってもいませんからね。 アイディアというのは形なきものなので、消えてしまうと “二度と” と言ってもいいほど再び自分の許に戻ってくることはありません。 それで、これまでに何度悔しい思いをしたか……数え上げたらきりがない。

  必ずしもそう、と言い切れることではないでしょうけど、“本当に良いアイディアというものは得ようと思って得られるものではない” ということでしょうか。 勿論それは様々な物事を見聞きしたり、いろんなことの体験やこれまでの自分の経験などがあって、その上で 「〜したい」 とか 「〜をつくりあげる」 という思いがひとつになって、ようやく出てくるものですが。

  そもそもアイディアというのは、そのつくりたい作品……言わば “到達点” というか、ある意味では “スタート地点” に辿り着くための大きな力になる要素のひとつですが、当然ながらそれだけでは作品は完成しない。 頭の中でビックバンを起こすために絶えずアンテナをいろんなものに張り、たくさんの物事に興味や関心を向けることが必要なのでしょう。

  ものづくりの世界というのは知れば知るほど奥が深く、苦しくて楽しく、そして自分がいかに “何も知らないか” を思い知らされるものだと感じています。
“薄く” なった、この世界・・・ 2009.3
ログというものが登場してから、また自分自身がそれをやり始めてからどれぐらいの時間が経ったのだろう。 そもそも、僕はどうしてウェブサイトやブログというものを通して “書く” ということをしているのか。 サイトを開設してから今月 3日で 7年、この頃そういったことをよく考える。

  インターネットの世界は “人口” が増え、それに伴って 5年前には起こり得なかった事件・犯罪なども増加した。
  勿論、普及することが悪いとは言わない。 現に利用者が増えることで機器の値段が下がり、環境が整えられたことにより通信の費用は安価になり速度も早くなった。 以前は非常に遅い回線で、また常に電話をかけているような状態だったために接続中は電話もかけられず料金もかかる一方だった。 そういう意味では、現在のようにいろんな意味で “お得” になるというのは大きなメリットだと思う。
  とは言え……その反面、マイナス面というか残念なことも多い。 インターネットは当然ながら実際のコミュニケーションとは違うので、人と人との “繋がり” の深さ、濃さは現実に行うものとは比べ物にならなかった。 最近は音声や動画による遣り取りができるようになってきたから、さすがに文字などがメインだった頃とは変わってきているけど、それにしたって生の会話などとは比較にならないだろうと思う。
  それでも以前は、ひとりのユーザやひとつのサイトというものが現在に比べてもっと “濃い” ものだった。 それがネットをやる人が増えたことにより、薄くなってしまった。 少なくとも、前は文章などを書いて発表する、という行為ひとつにしても、それなりに意義のあることだった。 でも、いまでは誰しもやっていること……老若男女ができることだし、ここでそういったことをする意味がどこにあるのか。 強いて言うなら、“ネットへ書くしか方法がない” ということだろうか。
  そうした経緯もあり自分は以前、開設していたブログで 「最近この “書く” ということをする場所を “ちゃんとした場でやりたい” と思うようになった」 と書いた。 この気持ちはいまも、あの当時のまま変わっていない。 しかし “そこ” で文章を書くには、いや書いて生きていくには文字通り一筋縄ではいかない話だ。 そこへ辿り着くための道のりは長く、また門は狭く席も限られている。 逆に言えば、そういう場所へ行ってしまったが故のデメリットもある。 そうした場は当然、書き手の自由に書けるわけではない。 そうした場ならではの “制限” がある。 だからこそ、プロになった途端に作品がつまらなくなってしまう。 そんなパターンもあると思う。 特に倫理だレーティングだと、うるさくなっている昨今においては (騒いでいる割には、“これが原因で、この事件が起こった” といった立証をされた例が極めて少ないのは疑問の残るところではあるけど)。
  そんなこんなで、いま自分は “そこ” を目指しつつ、その間の生きる糧をどう得るか。 かつ書きたい気持ちをどう消化するか……この数年間、そうした悶々とした想いに苛まれてきた。
  その “糧” があるならば、まったく苦労はない。 でも僕の場合、その “糧” を得るためにやることと自分の “そこ” へ向かいたい考えが一致せず、これまで何度も自分が引き裂かれるような想いを感じていた。 どうすればいいのか……未だに答えを見出せないでいるが、それでもうっすらと “こうすればいいのか?” というものが見えてきてはいる。 慌てず焦らず、さりとてのんびりしすぎないように今後も歩みを進めていこうと思っている。

  悩みや苦しみは人に相談し、打ち明けることで荷が軽くなることが多い。 或いは、自分の中にある想いや感じていることを文章に綴ることで気持ちが楽になることもある。 ブログで記事にしアップする、というのも、ある意味ではこれに近い場合もあるのかもしれない。
  ひょっとしたら冒頭の “自分がサイトやブログで書いている理由” というのも、もしかしたらそういうことなのか?
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